150BPM

ものすごいサブカルですが、あまり気付かれません。

チバユウスケがいなくなった話と20年前のゼロ年代に聴いていた音楽の話

チバがお星様になってしまった。

あの日からずっと、悲しみが消えなくて困ってる。

悲しくて悲しくて悲しくて悲しくて、本当に困る。

人生で1番聞いたのはミッシェル・ガン・エレファント

 

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携帯のメールアドレスも「tmge」って入れてたのは、いにしえの友人なら知ってるんじゃなかろうか。

 

チバのニュースを見た時は出社する準備をしていたんだけど、呼吸が出来なくなった。

血の気が引いて、気を失いそうになりながら恵比寿駅で乗り換えをした。

 

そんなこと初めてだった。あの人が死んだ時も、あの人が突然この世から居なくなった時もそこまで打撃は無かった。

周りから一斉に連絡が来たし、わたしも一斉に連絡をした。

うちのオランダ人に電話をしたら車の運転中で、事故りそうになりながら「涙が止まらない。なんでだろう」って言ってた。

 

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「寒がりのパンクス 吐く息はダイヤモンド チャイナドレスのあの子に一目惚れ

ずっと彼女と二人でいれたら それだけでいいと言って笑った」

 

思い出すのは21年前の話。

2003年前後はわたしの人生にとって、今思い出しても最も最悪だった。

ナンバーガールが解散をした2002年の翌年で、ミッシェルが解散した年。

初めて自分から好きになって付き合った彼氏は2004年に自死を遂げ、最悪な10代の幕開けだった。

チバの訃報に触れて、このあたりの記憶がフラッシュバックした。ゲロ吐きそう。

 

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わたしの人生を変えた2002年の映画『24アワー・パーティ・ピープル』を16歳の時に見て、Joy DivisionNew Orderを知った。

そして「パーティ」や「レイヴ」の存在を知った。

音楽って、自由なんだということがわかった。

 

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この前NYに行く時にJOY DIVISIONのロンTを着ていたら、羽田空港で外国人に「Oh my god?」って言われたから「I love it」ってした。

 

親に内緒で京都の盆地で朝までやったレイヴに行って、朝日を見た。

それから旅先で、日の出を見るのがクセになってしまった。

その時連れてってくれた人は京都のプリンツのパーティで知り合った人だったんだけど、今何してるんだろう。

How's it going?相変わらずオシャレな音楽を聴いてるのかな。

 

トランスやテクノを聴きまくって居た頃、ミッシェルガンエレファントに出会う。

ジャリジャリした音が好きだった。

 

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「夜をゆく なめつくした ドロップの気持ち」

 

ミッシェルの曲が惜しげもなく使われてる2002年の映画「青い春」に出てくる全員が大好き。

 

2003年のわたしは17歳。花もときめく17歳。

ミッシェルガンエレファントばっかり聞いて、付き合う彼氏はボーカルかグレッチのギター、極太のベースかドラム。

私立の共学に通いながら、髪の毛を伸ばしてモッズよろしくスカートは短めのハイソックスでギャルを極めてた。

その時に劇的に知り合った(知り合ってしまった)のが、芸大の油絵に通う4つ上の人だった。

 

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「ああ制服の少女よ 気が狂いそうな青空と 朝日のせいで君は眩しい」

2番目に聞いたバンドは「福岡市博多区からやってきました」ナンバーガールだと思う。

この曲をかけながら制服でライブハウスに通ってたわたしに「ほら、君」ってDJしてたね。

 

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「ピンポン」をDVDで何度も一緒に見て、だいすきになった。

だから「Peco」っていうあだ名なんだけど。だから大事にしてるんだけど。

このベースラインが、最高。今もたまにチラっと見て思うことは「あの頃みんな生きてた」ってこと。

しあわせだった。

 

アメ村のタワレコブリットポップとガレージを漁って、PIPE69とベアーズに通ってた。

暇があったら本屋とパンクショップに出入りをしてた。

そんな中、あっけなく見事に彼に自死を遂げられてしまい、人生のどん底を味わった。

 

この時に、わたしは一度死んでるんだと思う。

 

あの時の絶望に比べたら、その後の人生のことは別にどうでも良いよね。

それから、人への距離を取るようになってしまった。

築き上げてきた人間関係が無くなるのがめんどくさいから。考えたくもない。

他人への興味も無くなった。

今わたしの周りに居る人と居てくれる人は、その高いハードルを無理やり超えてきて、わたしのこころも抱きしめてくれるような人だけ。

もしわたしの喜怒哀楽を知っているとしたら、ラッキーだと思う。

 

当時、死体写真家の釣崎さんに会った時に「しにたい」って言ったら「死ぬな!!!」って怒られたりした。

この前釣さんと飲んでてその話になって、すごい恥ずかしかった。

でも今わたしは生きていて、そんな昔の話を笑い話にできるんだったらオールオッケーなんじゃないかな。

 

海外に行ったりして、美しい景色や美術品を見て「生きててよかった」って言っちゃうのは、本当に心の底から「生きててよかった」って思えるから。

 

彼のおばあさまから渡された遺書”のようなもの”には「君には悪いことをしたと思ってる」ってしたためてあって、これはわたしの心の底に深く刺さったままになってる。

人生でもう一度言われたのが去年の夏の終わりのことなんだけど、叙情的な人ほど、この言葉が似合うよね。

その時は「そんなことないです。ほんとうに。そんなことおっしゃらないで」って必死になってしまった。

なんで、なんでそんなこと言うの、言えるのって辛くなってしまった。

わたしは何とも思ってないのに。

 

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「太陽をつかんでしまった」を聞いた瞬間、「もしかしてこのバンド終わる?」と嫌な予感がした。

その予感の通り、ミッシェルは解散した。

 

そして何度も何度もバンドマンと壮絶な恋愛模様を繰り広げ、「もうバンドマンとは付き合わない」と泣きながらりょーこの実家の部屋に油彩ペンで書いた。

「恋愛」なんて呼べたのかどうかもわからない、稚拙なものだったと思う。

その後はDJとかおもちゃ屋と付き合ったり、遊べる本屋の店員とか劇団の団長と付き合ったりしたけど、やっぱり懲りずにバンドマンと付き合った。

「わたしにラブソングは歌うな」というめんどくさい彼女だった。

ジョン・レノンオノ・ヨーコにはなりたくなかったから。

 

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わたしが大阪を離れた2005年にはスーパーカーも活動をやめた。

 

そして今の彼、うちのオランダ人というゴリゴリのハードコアのボーカルとベースをやってる人と今も一緒にいる。

結局、バンドマンと一緒にいるんだな、ってマジで思う。

 

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別にこんなこと残さなくてもいいんだけど、あなたが死んでから20年が経ちます。

ナンバーガールが再結成したのに、また解散しました。

止まってしまったあなたの歳をとうに越し、東京に根を下ろしました。

あなたの安らかな眠りを祈ったことはありません。

当時の幼いわたしは、そんなことを考える余裕がないまま時が過ぎてしまったからです。

去年、桜桃忌に久しぶりに1人で行きました。風がとても強かったです。

あなたがわたしに遺した、遺してしまった「人間失格」をカバンに入れて行きました。

太宰のお墓の周りには、偲ぶ人がたくさんいました。

お参りに来ている人に話しかけられましたが、無視して帰りました。

あなたの思い出を、穢して欲しくなかったから。

お慕いする教授からは「玉川上水にも行けばよかったのに」なんて、酷なことを言われました。入水したらどうするの。

去年、大阪に出張に行った時にあなたのお墓まで行きました。赤い観覧車が見えました。

わたしはこれからも、この東京で生きていきます。

人との距離がいまだによくわからないまま、消えない哀しみを抱きしめながら、生きていきます。

お仕事で行ったニューヨークでアメリカ感を取り戻した話

「トンネルを抜ければ、そこは雪国だった」

という名文があるように、帰国日の朝はまさにそれを体感した。

「ああ、あれはこういうことだったのか」と解った。

ニューヨークは700日ぶりの雪だそうで。

 

 

今回、2012年ぶりに12年ぶりにお仕事で行ってきました。

お仕事のことは会社が運営するYouTubeなどで見てもらえることができるので、”それ以外”のお話しをするよ。

 

記憶のアップデートをする1週間だった。

ニューヨークという場所はわたしにとってはとても大事な場所で、ティーンの多感な時期を過ごしまくった場所。

30代になってはじめて行くということに、感度が鈍っていたらどうしようと思って空港を出た。

空港から電車でダウンタウンの滞在場所まで向かいながら、エンパイヤステートビルやマンハッタンの街並みを横目に「帰ってきたんだな」って思えた。

渡航する前に、わたしのことを昔から知っていてくれるディーラーが、ふと「帰郷だね」って言ってくれたのを思い出した。

 

拠点にしたのはダウンタウンのリトルイタリー。

そこからコインショーの会場まで通勤した。

前職では海外出張の時に「通勤する」ということに上司(などが)微妙な反応だったので、いつも滞在先は勤務地のすぐそばだった。

これは良いこともあるんだけど、街を知らないままになってしまうことが多い。

今回は約30分の通勤だったけど、朝と夜で雰囲気が違う街並みとか、ミッドタウンとダウンタウンで確実に違う人間の雰囲気を肌で感じることができた。

 

地下鉄はコンタクトレスのクレジットカードや携帯電話をかざせばシームレスに乗れるようになってた。

 

コインショー初日、どうしても一目見たくてグランドセントラルの駅まで歩いた。

天井の星座はやっぱりそこにあって、階段の上にはApple Storeができてた。

 

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別の日にアッパーウエストサイドに行って、ママが好きだったのはこういう雰囲気だったのかと理解した。

やっぱりわたしはミッドタウンとかダウンタウンが好きだけど。

 

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日曜のセントパトリックチャーチのミサに出た。

人はまばらだったけど、祝福を受けることができて、なんか色々赦された気がした。

これがあるから、教会に行ってしまう。

赦して欲しいことも、ボスに対してムカついてたことも、赦さなきゃいけないことも神の祝福でどうでもよくなる。

見知らぬ隣の男の子とハグした時、日本は(なんでもいいけど)信仰が無いから、生きづらいなと思った。

 

ミュージカル「CHICAGO」に連れてってもらった。

昔から大好きで、オリジナルキャストの来日も見たけど、やっぱり現地で見るのは最高だった。

どうせ忙しくてミュージカルを1本も見ないで帰ってくるんだろうなーと思ってたから、夢が叶った感がすごかった。

 

古くからの劇場で、前から5番目の真ん中の列でしっかりとAll That Jazzしてきた。

いつも聞いたり見たりしていることが、目の前で起きていると思うと感情が大渋滞した。

また見に行きたいし、次はムーラン・ルージュとか、やっぱり艶やかなものが見たいのでがんばってお仕事して時間つくんなきゃ。

 

メトロポリタン美術館にはボスに一緒に行ってもらった。

展示してある大量のコインを愛でながら、時間が溶けていった。

幼い頃はわからなかったんだけど、時代とセクションごとにたくさんのハイグレードの状態の良いコインが展示されてた。

いつもはコイン単体を扱ってるからわからなかったけど、コインは人が生きてきた証なんだなって。

 

2階でモネを見た。モネは昔、ママから与えられた絵本に載っていて、わたしが一番最初に認識した芸術家。

日本の橋がかかるあの有名な絵を見た時、今わたしが見たかった絵はこれだったんだってわかった。

モネの絵の中で好きなのは「バニラスカイ」。お空が不思議な色で描かれている1枚。まだ実物を見たことがないけど、いつか見てみたい。

METにも淡い色で描かれた大聖堂の絵があるけど、あれも大好き。

時間とともに目がどんどん見えなくなっていくモネの筆使いが、良いよね。

 

アメリカンウィングのところにあるガラス張りの天井の下がカフェテリアになってるんだけど、そこでお肉のサンドを食べながら窓の外に広がる冬のニューヨークは、やっぱりすきだな。って思い出した。

あの、街全体が静かにラベンダー色のモヤと冷たい空気に覆われていて、セントラルパークの木々も葉を落としたその雰囲気がニューヨークの記憶なんだな、と思った。

 

カフェテリアのコーヒーのコンディメントには必ずアーモンドミルクがあるからありがたい。

アーモンドミルクが好きなんだけど、いかに「しょーもない1.5ドルくらいのどうでもいいアーモンドミルクが良いか」という話をボスにしてしまった。

 

今回、ナポレオン1世の肖像が印象的だった。

隣のお部屋のアーチから遠目に見た時に、あれが皇帝たる所以かと立ち尽くしてしまった。

METでは「ソクラテスの死」が一番好きだと”思ってた”んだけど、このナポレオン1世の大きな肖像を見た時、自分が新しい反応をしたのがわかった。

どこから見ても「権力者」の佇まいの大きな肖像画は、それだけで良かった。

 

モナコで再認識したアントニオカノーヴァの彫刻が本当に素晴らしかった。

巨石が好きなので、どうしても見ちゃう。このしなやかなラインが美しい。

 

もちろん、ウォーホルやポロックも見た。

結局タイムアウトだったので、また絶対行きたい。

 

最終日にはバスケなど。

ニュージャージーネッツはいつしかブルックリンネッツになっていて、昔働いていた銀座のショーパブのダンサーさんがネッツでチアをやっていたのを思い出した。

(香織さんお元気ですか。れーこは元気でやってます)

 

爆音で流れる音楽とお酒とエンタメを浴びて、めちゃくちゃ良い締めでした。

これはクセになっちゃう。もうバスケ見に行きたい。

 

バスケの帰り際に見えたブルックリンブリッジが最高だった。

また行くことがあったら、あの辺も行きたいなー。

もっと小慣れたいなー。

 

昨年、モナコから帰ってきてすぐ、「ニューヨークのコインショーに行くか」つってうちのボスがフライトをあっという間に予約した。

寒いニューヨークはヤだな、めんどくさいな。なんて思ってたことを反省してる。

良いコインと人にも出会えた。

 

何より、半日も絵を見るのに付き合ってくれるボスという、なかなか貴重な存在に感謝しかない。

 

最終日は朝のフライトで、Uberニューアーク空港へ向かった。

前の日とは打って変わって、ダウンタウンは雪景色だった。

最初にニューヨークに来たのは2002年の1月末。一面は雪景色だった。

ママに手を引かれて街を歩いた記憶はあいまいだったけど、色々と思い出した。

寒いところが身体に合わないママが、「れーこと行った冬のニューヨークが忘れらない」っていつも言ってる。

わたしもだよ、ママ。

 

マンハッタンを出るためのトンネルを抜けたら、また違う雪景色が広がってた。

これがママが愛しているNYだったのかと、その感性を理解することができた。

寒くて仕方なかったけど、雪景色のニューヨークを見れたことがとても良かった。

 

ワインのマグナムボトルを買ってもらってご機嫌なわたし。

わたしにとってのSMはSakeとMusicなので。

なんかお酒っていうかワインを買うのが結構難しくって、「見つけたら買おう」という酒クズの我々なのでした。

 

ここ数年はヨーロッパの方とお仕事することが多くて、どこか自分のアメリカ性みたいなものを封じてきた。

ボスも「(れーこ)らしく居てくれていい」っていつも言ってくれるので、アメリカのギャルだったことを思い出して生きていこうと思った。

 

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なんかいっぱいインプットできたから、当分たくさんアウトプットしていけそう。

今もそう。

王家衛4Kレストア版「欲望の翼」と「脚のない鳥」の話

去年のうちにUPしようと思ってたんすけど、なんだかんだ年が明けてしまいました。

今年もよろしくお願い致します。

 

「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ。」

 

ようやく悲願かなって、ウォン・カーウァィの「欲望の翼」を映画館で見ることができた。

2018年に恵比寿ガーデンプレイスで再演していたのは知ってたんだけど、その頃は公私ともに余裕が無くて見逃してしまった。

しかもどの時間も満席で、仕事の合間に見ようなんていう人間には席は空いてなかった。

以下ネタバレありなので、そういうのダメな人はソッ閉じしてね。

 

しかもクリスマスイブの日曜、見事うちのオランダ人と見ることができました。

ちなみに今回は渋谷のBunkamuraル・シネマ宮下。

今工事中のBunkamuraシネマが移転したというやつ。

ビックカメラんとこに入ってるやつね。

 

クソ野郎に恋をする女の子たちの話なんだけど、あんなに甘い顔をしたレスリー・チャンに名前を聞かれたら、好きになっちゃうよね。

人は結婚したがるけどそうじゃない人もいるわけで、恋って本気になるかならないかで全然違うと思うんだけど、今回は前者のお話。

わたしは比較的他人に興味が無いからすぐに人と距離を置いてしまうんだけど、今わたしの周りにいてくれる人は、そのパーソナルスペースに図々しく入ってきた人たちだから大切にしなくちゃいけない。

人間関係ってめんどくさいし、せっかく築き上げてきたその人を如何なる形で失ったとき、打撃がすごいからね。

だからすぐに心に厚めのフィルターをかけてしまう。

 

結婚とか誰かのものになるとかどこかに所属するとか、本当にマジで嫌いなことなんだけど、今の会社とか所属しているところは気に入ってる。

 

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一番切ないのはレスリー・チャンが撃たれることではなくて、わざわざフィリピンまで探しに行った実の母親に会えなかったこと。

あの時の怒りというか焦燥というか、そういう辛い思い歩きながら背中で演じるレスリー・チャンがすごい。

 

映画の中で流れるラテンの音楽が耳に残る。

 

人のことを嫌いになることはたくさんあるけど、好きになることがあんまりないから、せっかく好きな人に会いに行ったのに会えなかった喪失感は埋められないよね。

 

一つ疑問なんだけど、去年ずっとやってたウォン・カーウァイの4Kの上映ではやらなかったということ。

版権とか、権利関係が違うのかしら。

 

クリスマスのディナーは大好きな「おおさかkitchen。」さんでした。

昔銀座時代にお客様に歌舞伎座のそばの店舗に連れて行って頂いて以来、公私ともに利用してるお店。

お写真は看板メニューの「焼きごま豆腐」。

ほんのり焦げ目がついておいちおいち。

「うちでもやってみよっと」って言ったら、お店の人が「このごま豆腐は鉄板で焼いても形が崩れないように特別に作ってもらってるものなので、市販のものだと溶けちゃいますよ」って言われちゃったのを思い出した。

こういうのって、お外で食べるのが楽しいよね。

 

あとは「若き仕立て屋の恋」を見たい。

 

一応わたし的には王家衛の4Kレストアは感想した”つもり”なんだけど、また映画館でやることがあったら見に行っちゃうと思う。

それにしても、沖縄の桜坂劇場でどれか見たかったなあ。

年明けからの「覇王別姫 さらば、わが愛」も微妙に滞在期間とズレて見ることができなかった。

こういうこと(映画を見るなど)に対して、きちんと時間を使わないといけないな、と思った。

単訳の翻訳本「ECOINOMICS~アンティークコイン市場ガイドブック~」が出ました。

 

去る10月1日付けで、本名名義での単訳での翻訳本が出版されました。

イギリスから出版されたアンティークコインのことが丸わかりなご本、「ECOINOMICS」の翻訳本、「ECOINOMICS~アンティークコイン市場ガイドブック~」でやんす。

まさか、単訳の翻訳本を出すという夢を叶えてくれた弊社社長には感謝しかないです。

 

この「翻訳本を出す」ということが、いかに自分の人生にとって大切なことか書くので、読んでください。

あと、たまには自慢させて。お礼も言いたい。

 

文化学院時代に死ぬ思いで英米文学とロシア文学を学び、偉大なる翻訳者たちから直接教えを受けた身としては、同じ”翻訳者”として土俵の端っこに立てたと思うと感慨ひとしおなわけです。(図々しい)

しかも、ラジオに出させて頂いた時に「翻訳者」と言ってもらえて泣きそうになりました。

 

渋谷のラジオ「渋谷のほんだな」のアーカイブです。

最近知り合った方はぜひ聴いてみてくだしゃい。

原カントくんさんは本当に教養が大爆発してる方で、久々に言葉の殴り合いができた感がありました。

感謝。

 

そして学舎こと文化学院のみんな。Pecoはやったぞ。やりきったぞ。故小野寺 健先生、みてますか。やりましたよ。

プロフィールに「文化学院卒」と記すことで、我が母校の名前を永遠に残せたと思う。

恩師にこの話をしたら、とても喜んでくれた。

 

まだまだ感謝する人は居て。

そばで「がんばえ〜!」っていつも応援してくれたうちのオランダ人とメロ山、なぎらさんがいてくれたからこそ、気晴らしの時間を取れました。

 

プロジェクトが立ち上がってからの今日まで、マジで紆余曲折がありました。

出版社と翻訳者を決めるにあたって、ご助力頂いたみなさま、ありがとうございました。

ダメ元で大手の出版社に概要を送ったら、マジの知り合いからお返事が来たので懐かしかったです。(内容は丁寧なお断りの文面と、「なになに??何が起きてる??」というお電話)

という反面、別の大手の出版社に勤める”昔からの知り合いだと思ってた人”から、マジでクソみたいな返事が来たので、マジでクソだと思いました。クソ。

 

専門的な文章、ということで結局わたしが翻訳を担当することになったという経緯です。

しぬかとおもった。

その度に脳裏をよぎるのは、恩師が翻訳を続けてるということ。

 

そして感謝を言いたいのは、発売元の出版社として完全なるバックアップをして頂いた、”あの”「東京キララ社」さま。

キララの中村社長とは不思議なご縁がございまして。死体写真家釣崎清隆経由で知り合ったのは昔のお話しで。

コロナ禍真っ只中の時に、うちのオランダ人と久々に出かけた新宿で、ランチしたんすわ。

場所はもちろん「アカシア」さん。席に座り、ふと顔を挙げると向こうのほうに中村社長が。

ただ、マスクなんかでよくわからなかったので、Twitter(現在のX)のDMで「あのー…今アカシアにいますか?」というキモい内容を送信。

キョロキョロとされてる中村社長にセイハローしたのが、コロナ禍の感動の再会だったわけです。

そして相談をして、出版を受けてくださり、無事刊行となりました。

釣崎さんの写真集が出たところからわたしも本を出せるなんて、感動しかない。

しかも印刷はあの森山大道さんの写真集も手がける誠晃印刷さん。

 

 

そして、転職先であるギャラリアこと、弊社代表にも感謝してる。

転職しなかったら翻訳なんてやらせてもらう機会は一生無かったし、しかも本名で本なんて出せなかった。

みんな世間体とかあるから、ペンネームとかHNで出すじゃない。

本名で出すってことには責任、特に文責が伴うわけだし、自分のラベルにもなるよね。

 

ギャラリアの社長は同い年のイケイケな人なんだけど、わたしのことを理解して翻訳作業を優先させてくれた。

見せてくれない世界を、見せてくれてありがとう。これからも、隣でもっとがんばります。

ってね!

 

陰ながら一緒に走ってくれたフジヤマさんには、こころから感謝してます。これからもまた頼むことがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。ほんとに。

 

そして最後に、悩みをずーーーーーーーーっと聞いてくれた恩師にも感謝をきちんと言わないと。

 

創作、いわゆる小説は小冊子に何度か冊子に載せてもらっていたし、フリーペーパーの連載なんかも公私共にやってたので、翻訳はまた別物だった。

“翻訳”というと、偉大なる恩師の背中を見ずにはいられなかった。

翻訳作業を学生時代に身近で見ていたにもかかわらず、当時はその苦労が全く理解できなかった不良学生だったけど、翻訳という作業を自分でやってみて、初めてその気持ちが理解できた気がした。

翻訳が始まった頃は打ち明けられず、ようやく今年に入ってから、刊行日が決まってから報告した。

素直に喜んでくれた。

そして、こんなつらい思いをしていたなんて、と、ちょっとだけ謝った。直接伝えられて良かった。

わたしはたった1年の翻訳作業で苦難を感じていたんだけど、恩師は15年以上だもんな。

マジで無理。そんなの無理。自分との闘いが長すぎる。

迷っていることを打ち明けたら「それでいいんだよ」って言ってくれたし、その答えが欲しくて聞いたから、答え合わせができて良かったことがたくさんあった。

 

そんなみなさまに支えられてたというお話。

読む人が読んだら、わたしの書いた文章だってわかる本だと思う。

 

そして、すでに本を購入してくださったみなさま。

ありがとうございます。

愛を込めて。

 

そしてこの12月、「感謝祭!」としたキララ社様主催のイベントも満員御礼で終了しました。

ここで頭に浮かぶのは「恩師はこの何十倍もある会場を秒速で満席にしてしまうんだから、すげーよなあ」ということ。

まだまだ叶いません。

 

そして、すてきなプレゼントありがとうございます。

お酒とお花が一番うれちいです。

いつまでも推しててください。

 

このイベントをもちまして、無事「神保町好事家倶楽部」の会員となりました。

承諾してくださったメンバーのみなさま。ありがとうございます。

今後は「アンティークコインのやべえ女」として精進して参ります。

すでに2月10日にイベントが決定しておりますが、また改めて告知します◎

会社を辞めようと思う前にモナコに行って良かった話のフランクフルト編。

ヒースローの直行便が鬼高いし、パリはラグビーで取れないしっていうことでドイツのフランクフルト経由でした。

ルフトハンザを使って、2時間くらい。

メッテルニッヒなんていうシャンパンをボスと飲んだりしながらあっという間にフランクフルト。

 

ドイツの知り合いを呼び出して、案内してもらった。

泊まったのはフランクフルト中央駅だったんだけど、聞く人聞く人「治安がやべえぞ」って言ってたけど、マジで治安が悪かった笑

 

駅前からプッシャーがたくさんいて、草をすすめてくる外国人が山ほどいた。

みたいなことをつぶやいたら、絶賛書籍販売のキャンペーン中のためマネージャー係の人に「物騒なことはつぶやかないでください」って言われたので気をつけます!!!

 

ごはんはおすすめの食堂へ。

めっちゃ綺麗な店内で、アップルワインを飲んだ。

鼻に抜ける香りが独特だった。

骨付き肉がすきすぎるので、からっと揚がった骨をちゅぱちゅぱしてた。

骨付き肉がね、だいすきなんですわ。

 

2軒目へ。

ドイツワインって大好きなんだけど、今回の旅ではできるだけだいすきなロゼを飲みまくってた。

爆音で大好きな音がかかってたので、ご機嫌だった。

 


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Rema, Selena Gomez - Calm Down

 

その時かかっていた曲はこちら。

今年の夏のアンセムっすわ〜。みんなは今年の夏は何を聞いてた?

(後から「あの時マジで何もかもがオフだった」的なことを言われて急に恥ずかしくなったりなど。すんませんね、上司の隣でしたね、すんませんね。)

 

そして翌朝、お仕事で扱うコインにデザインされてる景色を見に朝のお散歩へ。

めっちゃ寒かったけどたのしかった。

途中、恋人たちの南京錠があって、めちゃくちゃラブリーだった。

 

たくさん橋を渡って、ようやく辿り着いた景色は「中世の人が見たのか」と思うととても感動的だった。

でもさ、なんで水辺の景色を“美しい”と思ってコインに残したんだろう。

 

大聖堂を見に行ったんだけど、日曜日のミサの雰囲気が最高に良かった。

時間の関係でちょっとだけしか居れなかったけど、美しい場所だった。

 

この街のことをきちんと調べてこなかったのが悪かったんだけど、どうやら中世の騎士に由来があるのかしら、って。

今度時間あったら調べてみようっと。

 

朝ごはんに本場のザッハトルテを食べた。

間にラズベリーかなんかのソースが挟んであっておいしかったー。

 

そして帰路へ。

空港のラウンジで乾杯した。

 

最後に「食べとかないと」と思ってラウンジのプレッツェルを頬張ったけど、まあ普通だった。

 

というわけで、いささか不安だったけど行って良かったです。

イラッとしたらこのフランクフルト中央駅で撮った写真をソッとSlackに投げてます。

(それでも許してくれる関係になったことがマジで革命)

みんなも上司に対してモヤってることがあったら、一度話してみようね。

ただ、体力と時間が必要だから、そのリソースを使っても良いよっていう相手にしようね。

 

 

マジで噂に聞いてた通り、水よりビールが安かった。

もっとビール飲めばよかったなあ。なんか疲れちゃって、ホテル帰って寝ることしか考えてなかった。

マジで勿体無い。ビールの国なのにいいいいい。

 

飛行機はルフトハンザ。

帰りの機内食で「こちらしか残ってない」っつーことでOKしたすき焼きっぽいの、おいしかった。よく考えたら、久々に食べた「お米」だった。

機内食のキンッキンに冷えたそばって憎めないよね。

ああ、帰国するんだ、って思う。

 

機内では、スパークリングワインが出たので、とりあえずまた乾杯しながら14時間。

なんかいろんな話しながら帰ってきたんだけど、会話っていうか対話って大切だなって思った。

あと、思ったことはちゃんと言わなくちゃだめだなあ、って。

「ちゃんと言ってくれ」って怒られたんすけど。(ごめんなさい)

 

その他の欧州ドサ周りの詳しい様子はこちらのYouTubeから。

年末まで駆け抜けますわね。

 

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【イギリスコインはどこでも争奪戦】MDCモナコオークションに現地で参戦!|ロンドン→モナコ→フランクフルト周遊ヨーロッパ遠征の様子

会社を辞めようと思う前にモナコに行って良かった話のモナコ編。

結論からいうけど、モナコめっちゃいいとこやで。

全てが絵になる街だった。

10月のこの時期には珍しかったらしいんだけど、終始お天気が良かった。

 

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(着やすいからっていう理由でオキナワTシャツで来ちゃった)

モナコには空港がないので、フランスのニース空港から移動。

「電車は危ないからヘリにしろ」って有識者に言われたけど、別に大丈夫だったっぽいから電車で移動にした。

ニースは暑くて、夏Again感が最高だった。

1時間もしないでモナコに到着。

 

モナコって流しのタクシーがいないから、駅前とかにあるお電話で呼んでね。

そしてホテルはご招待頂いたメトロポールホテル。

しかもジュニアスイートで恐縮でしたわ。

昔友達が仕事でスイートに一人で泊まった時に郷愁が襲ってきてフルチンで走り回ることしか出来なかったって言ってたけど、その気持ちがわかった。

 

着替えてMDCさんへ。

わたしのことを香港時代から推してくださる女性の方が、今回のホテルなどもアレンジしてくださった。

ありがたい。しかもオフィスの建物の前まで迎えにきてくださった。

 

下見を終えて、お散歩。マルシェへ行ってワインを買ってもらって、そのままバンメ。

とりあえず飲んだワインがおいしかった。

ハムとチーズがあれば、もうどうでもいいよね。

角打ちみたいなお店だったんだけど、とにかく人がたくさんいた人気店だった。

 

どうしても007のロケ地が見たくて、ホテルからすぐそばの「カジノモンテカルロ」に正装して行った。

地球の歩き方」にはドレスとか着てこうね的なことが書いてあったのに、いざ行ってみたらめちゃくちゃカジュアルな人がたくさんいた。

でもさ、おめかしして行くって大事じゃない?

ものすごく適当に作られたウォッカマティーニを飲んだ。

(リレあるのに入れてくれないんだもの)

 

そこにもわたしのジェームズボンドは居なかったけど。

 

出張先では湯船があると必ず朝に浸かることにしてるんだけど、ぼーっとしながら「あれ?もしかしたらボスはいいやつかもしれない」ってことに気づいた。

 

ロブションの系譜を継ぐシェフがいるレストランでのアサメが毎朝とにかく最高だった。

普通だったら出張先でアサメをボスと食うなんてマジほんとありえないんだけど、ちゃんと話して謝りたかったし、一緒に摂った。

今までボスのことを理解しようとしていないのに、こころの距離を取ってブロックしてしまっていたことと、ボスはめちゃくちゃいい人なのかもしれないことに気づいたっていうお話しをした。

案の定うちのボスは「は?????何言ってんの??????」って感じだったけど、距離をはかってくれていたのに、その本質を気づけなかったわたしが悪かったって話をした。

これだけでも、モナコに行ってよかった。

 

(この後、大仕事を終えた翌朝にまた湯船に浸かったんだけど、達成感がすごくて退職を考えそうになった話をしたら、余計なことを考えないためにも出張先で朝に湯船に浸かることが禁止になりました)

 

ビーチが良いと聞いて朝のお散歩に行ったんだけど、思ったよりよかった。

また別日にボスと行ったんだけど、結構朝からさくっと泳いでる人がいて「早くああなりてえな」、つって。

あと、モナコの海水ってそんなにしょっぱくないです。(舐めた)

 

朝、生存確認の連絡がくるんだけど、そのままお散歩に行くことが多かった。

ブリーフィングというかブレストというか、なんかもはや2人で頑張らなくちゃいけない会社だから、そういう時間を大事にしなくちゃいけないなと認識した。

っていうかわたしがちゃんと対話しろよって話ですね、すんません。

こころのブロックが解けた瞬間から、ボスのことをよく理解できるようになったし、一言一言がイラつかなくなった。

 

うちにいる時はベッドの上とかでお仕事してるんだけど、モナコではソファの上でお仕事してた。

ちょっと距離が離れたとこにボスがいるんだけど、この距離感がベストじゃないか的なことになったので、帰国後オフィスも模様替えすることになった。

今まではめっちゃ遠いところにいたからね、わたし。

なんか常にピリついてるし何考えてるかわかんなかったボスの近くに居たくなくて。

こうなってしまっていたのも理由がはっきりわかったから、会話ってか対話することって大事だなって思った。

時間はかかるけど。時間を取らなくちゃいけないけど。めんどくさいけど。

 

ちゃんとお仕事もした。

 

本には書いてないこともたくさん知れて、マジで行った意味があった。

イタリアコインのお勉強したいなあ。

 

お仕事を早々に切り上げて、お散歩とランチ。

ラビオリがトマトソースだったから「トマトかぶり大丈夫ですか」つってラビオリ頼んだけど、そんなこと気にしない人だった。

そういうの嫌がる人いるじゃん、って。

なんかまだこころのリハビリが出来てなかったんだと思う。

 

モナコの王宮の一番奥のお部屋の天蓋付きのソファを見ながら「ここで一生仕事してえな」と思ったりした。

ヒルトップから見る街並みはきれいなものだった。

 

ボスの後ろ側には「王室御用達」をもらったお店が入ってるマルシェがあって、そこに「こでら」さんっていう日本料理屋さんが入ってた。

そこはモナコでもおすすめされてたんだけど、予約で満席だった。

ということで目の前のカフェ的なとこでビールをひっかけた。

この旅でビールってあんまり飲まなかった気がする。

なんかこんなにダラダラさせてくれて、終始めっちゃいいリフレッシュになった。

っていうかマジほんと生き急いで仕事してきた感があったから、たまにはいいのかなって。

 

わたし、泡も好きだけど、ロゼが一番すき。

スーパーに行ったら選べないくらいロゼが置いてあって、ボスが1本買ってくれるっていうのにめちゃくちゃ悩んで雑に積んである3ユーロのにした。

多分飲む頃には酔っ払ってるし、味の違いなんてわかんないだろうから。

 

ロゼを飲む時って、こんなにかわいいピンク色の液体が自分の身体の中に入っていくなんて、って思っちゃう。

オレンジワインっていうかアンバーワインも大好きなんだけど、赤ワインがそんなに得意じゃないのかもしれない。

白ワインはずっと飲んでられるよね。

お散歩の時にチェックしてたイタリアンでバンメ。

もうチキンがパリッパリでおいちおいちだった。

泡が吸い込まれてった。

 

そして運命のオークション最終日。

パドルはリクエストしてラッキーナンバーの4が並んでるやつにしてもらった。

 

大きなBIDが確定して拍手が起こった瞬間「これはマジでやばいことになった」と思ったと同時に、号泣してしまった。

この辛かった10年以上のキャリアが報われた気がした。

「女だから」ってマジで虐げられた時期もあったけど、顔を上げてみんなの前で笑顔を振り撒かなくちゃいけなかった。

何かを削りながら、失いながら、悔しい思いもたくさんした。

尖沙咀の片隅で、わたし何してるんだろうって凍茶をすすってた。

しかも前職の最後は本当につらくて、マジでコイン業界が嫌いになりそうだったところを今のボスが拾い上げてくれた。

それから2年、こんな素晴らしいモーメントに遭わせてくれるなんて、ボスには感謝しかない。

そして推してくれてる現地の担当者を見ると、やっぱり泣いてた。

トロフィーがまた一つ増えたな、って思った。

 

気晴らしにお買い物に行って、お散歩してめちゃくちゃ豪華なホテルのレストランのテラス席へ。

周りの人が美味しそうに食べてたバジルのパスタをいただく。

ここでいうPasteはバジルペーストのことを言うみたいね。

 

そばではマジでオリガルヒみたいな人が、わたしだと指で挟めないような極太の葉巻を吸っていたりした。

 

ホテルに帰ってプールサイドで溶けてた。

 

晩餐会で、推してくれてる担当者と「出会った2019年はお互い本当に辛い時期で、それでも今があるってことは素晴らしいことだし、報われました」ってまた泣いた。

本当にあの頃はつらくて、その後にもっと辛いことが待ってるんだけど、もうコイン業界なんて2度と戻りたくないって思うことがたくさんあった。

それでも引き留めてくれているボスには、感謝しなきゃなーって思ってる。

 

もしモナコに来てなかったら、ここまでボスに感謝する気持ちは沸かなかったと思う。

 

(おいしかったタルトシトロン)

 

この後、フランクフルトへ移動します。(フランクフルト編へ)

会社を辞めようと思う前にモナコに行って良かった話のロンドン編。

トラファルガー広場よりお届け)

 

今所属してる会社の出張で海外に行ってきました。2週間弱。

ロンドン、モナコからのフランクフルト経由。

わたしは行かなくていいんだろうなって思ってたら、結構ギリギリに「行くっしょ」って言われて正気か!?って思った。

ほんとは香港に行きたいのになあ、って。

イギリス英語とフランス圏はなんだか怖いし、初めてのところって怖いしってずっと尻込みしてた。

 

あと、8月末に行った学会のせいで「研究者になりたいな」というか「戻りたいな」と思ってしまった&社内の人間が辞めたせいでわたしも退職をちらり考えた。

ちょうど業務の波がエグくて、身動き取れないのが辛すぎたし、ちょっとボスとの距離感がわからないまま業務にあたるのに疲れちゃってた。

 

仕方なくスーツケースをパッキングして、いざ出発。

ひとまずサセックスの知り合いのところで一泊。

のどかでびっくりした。

 

そして翌日はボスと別行動。憧れのロンドンへ。

なんかよくわかんないけど急行電車が動いて無かったので、途中の駅までシャトルバスという荒行事。

なんとか辿り着いて、ロンドンまで。

どんどん変わっていく街並みに感動した。わたし、今ロンドンにいるんだって。

ヴィクトリアステーションに着いてそのままの足でウエストミンスター寺院へ行ったら、日曜日なのでミサをやってた。

もういろんな思いが込み上げてきて涙を溜めていたら、前後左右の人と祝福をする時が来て、隣の男性に「大丈夫?神のご加護を」って言ってもらった。

こういう場所には、一人で来るモンじゃないね。

そこからバッキンガムへ。

バッキンガムからお目当てのナショナルギャラリーまで歩く道「ザ・マル」を歩いていて、息がつまる思い出がフラッシュバックした。

昔10代の最後の方に「I'm walking through Mal right now, how are you?」って電話をかけてくる人がいて、ここがそうなのかと思いながらVAPEを吸った。

その気持ちは全然わからないし、通勤ルートなのかと思うと腹立たしかった。

わたしのベンチマークになるようなことばかりする人だった。

 

そして007がQと出会った場所があるナショナルギャラリーへ。

ちょっとだけ並んだけど、すぐに入れた。もちろん無料。

ちょっとだけドネーションした。

最初お目当ての絵を間違っていて、あとから「さっきの絵、なんかちゃうな?」と思って引き返したら、全然違う絵で感動してしまっていた。

本当はこちら。解体されるのを待つ船。

結構小さい。

なんというメッセージが込められているのかわからないけど、人が美しいと思うことにボーダーは無いんだなと思った。

そこにわたしのジェームズボンドは居なかったけど。

 

その後、またマルを歩いて地下鉄の駅まで。

ヴィヴィアンのワールズエンドに行こうと思って地下鉄のホームを降りて調べたら、まさかの定休日。

そのまま地下鉄でホテルの最寄駅まで行ってチェックイン。

しばらくしてボスがお友達とやってきたので合流。

その辺をお散歩して見つけたパブで一杯飲んだんだけど、日曜日だからキッチンがクローズ。

仕方なく入ったイタリアンが超絶おいしくてびっくりした。

これは看板メニューのカルボナーラ

変にクリームなんかを使っていなくてめちゃくちゃおいしかった。

あと、奥にあるのがロメインレタスのサラダ。

わたし、こういうロメインレタスを自分で切りながら食べるサラダって好きなんだよなあ。

 

このモーメントのせいで、この後ずっとボスとイタリアンを食べ続けることになる。

 

ガラスのコップで出てくるカフェオレって好き。

っていうかガラスのコップが好きなんだよな、やっぱり。

2件目っつーことでイケイケなバーで一杯ひっかけて解散。

ロンドンの夜はたのしかったです。

 

朝ごはんは甘いものとカフェオレだよね、絶対。

イタリア系のカフェに入って、タルトシトロン的なもの(大好物)を食べた。

もうめっちゃおいしくて、さすがレモンカードの国!ってなった。

またカフェオレがガラスのコップで、うちでもそうしようかなって思っちゃった。

 

そして翌日は愛する著者に会ったり、いろんなディーラーに会うどさ回り。

会う人会う人、オタクばっかりで安心した。

あとからボスに「よくあんなに対等にやりあえたね」って言われたとき、別に普通に話してただけなんだけどなーって、自分がオタクだったことを忘れてた。

 

10分しか時間が無かったんだけど、ロゼッタストーンは拝んだ。

めちゃ良かった。大きめの石板が好きなので、ハムラビ法典に引き続き感動した。

何で大英博物館に10分しか居れないスケジュールにしたんだろう、とボスを恨んだりしたけど、文化芸術に興味がない人なんだろうなって諦めた。

なんなら、2度ほど出発前に「大英博物館行かなくていいんすか」って聞いたのに「いやおれは別に」みたいな反応で、めちゃくちゃ感じ悪いなと思ってた。

だってさ、ロンドン行ったのに大英博物館に行かないなんて絶対周りの人に「え?」って言われるやん。

 

結果ボスも楽しかったみたいだから、なんかよくわかんねーな、と思った。

(この頃はまだボスのことを理解せず、心のATフィールドを厚めにバリバリ張ってた)

 

周りをなんとなくお散歩して、バンメ。

たまたま入ったご飯やさんがポルトガル料理だったんだけど、美味しかった。

そして翌朝は一路ニースへ。(モナコ編へ続く)