この写真、ツイッタランドでは「れいこ嬢と釣崎さんの久々の2ショ、安心するけど最強怖い~」と評判です。
だよねー。わかるー。ありがとー。
ワイも釣さんも元気です。
大阪での同イベントが控えてるので、イベントレポは週末にでも。
あまり釣さんとの思い出なんて人に話さないけど、たまには。(長文注意)
「死体おとーさん」と呼んでいる、死体写真家 釣崎清隆との出会いは15年前。
大阪で語り継がれるアートイベント「レッテル」に来阪すると聞いて、当時中学3年生で15歳のワイは学校帰りに赴いたというわけ。
(絵師 東學に目撃されていたのもこのイベント)
そこからの付き合いで(割愛)、人生の半分を共にしてきた「東京の父」っすわ。
成人式の写真も、釣さんにお願いした。
新著の出版はtsurisakist※としては、大変感慨深いもので。
(※BURST時代からの釣崎さん公認のサポートメンバー。現在は新潟の佐藤"シミバチョフ"くんとワイのみ)
釣崎さんはこの数年の間大人の事情や、わかりやすい社会の圧力で出版が頓挫したり延期したり、なんていうことが今まで多々ありまして。
その度に悔しい思いをしてきたんすよ。
日本はどうなってんだ、っつって。(海外ではイベント、DVDのリリース共に好調だった)
そして311。
釣さんが福島第一原発(以下、イチエフ)に仕事で行くという時も、戦地へ父を送り出すような、もしかしたらもしかするんじゃないかという気持ちで見送りまして。
何度か行き来する時も、同じ気持ちでセンチメンタルでした。
(本人は心身ともに至って元気そうで、放射能が何や良い影響でも与えてんちゃうか、と思うくらいでイラッとしたこともあったけどもw)
「なにごとも無く帰ってきて良かった(涙)」という話を釣さんにしたら「お前はメキシコ行くときもコロンビア行くときも、いつも同じこと言ってる」って言われた。
うるせー。そんなことを言ってくれる奴が居ると、帰らなきゃって思えて良いんじゃねーの?
目の前にはBURSTのレジェンド達が居て、さながら10年前にトリップしました。
あの頃の記憶のなかで一番忘れらんないのは、釣崎さんの何かのリリースパーティを渋谷のアップリンクでやった時。
諸々終わった後、みんなで外に出たら誰かが差し入れた日本酒の一升瓶を誰かが開けて、「盃交わそう」って回しはじめて。
清野さんもキノコちゃんもシモネ先生も、もちろん釣崎さんも皆で回し飲みした。
あの頃に戻りたいなんて思わんけど、昔を思い出して涙ぐんだ。
みんな生きてて良かった。
ノンフィクション大作。是非。