10年ほど前ね、夜中に課題やらレポートやら書くときのおともだちがF-1だったのよね。
シューマッハ復活、ライコネンやらアロンソ、マッサめっちゃ強い!の頃で、結構wktkしながら見てた。
卒業してからあまり見なくなった矢先に、連れてって貰った「東京モーターショー」で見た「日野レンジャー」にひとめぼれ。
そして今回、「モータースポーツジャパンフェスティバル2017」がお台場で開催!
という訳で、日野自動車ブースに遊びに行ってきました。という話。
http://www.motorsport-japan.com/msjf/
なんじゃこれ。えっダカールラリー出てんすか。えっ毎年完走なんすか。デカイっすけど。っていう。
【ここで「ダカールラリー」の簡単な解説】
1978年に探検家ティエリー・サビーヌによって創始された、ラリーレイド競技大会の一種である。「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。(Wikipediaより引用)
もともと「パリダカ」の愛称で親しまれたパリ→ダカール間のラリーレースは、2008年のモーリタニアの治安悪化により中止以降、南米に場所が移ったって感じ。
それから名称が「ダカールラリー」になったのね。
(「パリダカ」時代、モロッコの海峡をバイクやら車やらが渡るところを実際に見たっていうインド中東勢許すまじ。うらやましすぎる。)
もちろん乗りました。(二回目)
前回は卓上カレンダーを頂き、今回はクリアファイルでした。
大盤振る舞いじゃのう。そういうところも大好きじゃ。
日野自動車ブースではタオルと日野レンジャーのラバーキーホルダー買った。
こ…このハンドルを…菅原親子が握ったんだと思うと…(ペロペロ)
中は結構狭くて、他の国のチームはドライバーとナビゲーターの計3人乗るんだけど、HINOは2名。
菅原親子が1号車2号車のドライバーで、そこにナビゲーターが各ひとりずつって感じ。
この菅原父、マジで尊敬してるし、マジで応援してる。
タイヤ交換も目の前で見れたし!
最後は手作業なのよ!なんという!タイヤ1個150kgだって!
この日は舗装された道路で3人がかりだったけど、実際は砂漠でエンジニアも居なくて2人っきりな訳でしょ?
過酷。つーか地獄。
エンジニアの方が「今日は舗装されたところでタイヤ交換出来て良かったです」って言うてはってわろたw
何か前がガーッてなったし、たまらんかった。
一番右のMCの人って、J-SPORTSの「いい声」の人よね?
「えっ?あれ菅原父じゃない?」ぎゃーー!菅原父!レジェンド!
とか思ってたら「あなたさっきの回も来てたでしょ」って写真撮ってくれました。
泣ける。すげー会いたかった人だから、感激した。
つーかこの人、マジでクレイジーなんだわ。
菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は日本のラリードライバー。北海道小樽市出身 。(75歳)
ダカール・ラリーには1983年の第5回大会から連続で出場しており、日本人で唯一モト(オートバイ)・オート(乗用車)・カミオン(トラック)3部門で出場した経歴を持つ。また1989年の第11回大会から2009年の第31回大会までダカール・ラリー連続完走を達成している。2005年の第27回ダカール・ラリーからは次男の菅原照仁とともに日野・レンジャー2台体制で出場。日本人初の親子ダカール・ラリードライバーとなった。(Wikipediaより)
意味わかんねーよおおおwwww
バイクでパリダカ時代に出て、75歳の今も現役ドライバーってええええwwww
正月に南米まで飛行機で行くってだけで気を失いそうなのに、そこからさらにラリーに出るとか凄すぎ。
人間、まだまだっすよ。可能性、まだまだっすよ。
ようやく30になったワイなんて、まだまだまだまだイケるはずよね。