今年の10月16日で、だいすきだった叔父が亡くなって丁度10年が経つ。
(「おじさん、今日も華麗に斬られてたよ!」って言ってくれたみんな、ありがとう)
叔父は俳優の有川博。享年70歳。
小さい頃叔父が教えてくれたのは市民プールでの「クロール」だった。
プールサイドから、良い声でわたしに息継ぎのタイミングの合図を送ってくれた。
床に絵本を置いて、ていねいに絵本の読み聞かせをしてくれた。
「おじさんが出るから」って時代劇を見れば終盤で斬られ、見るたびによく泣いていた。
「風雲ライオン丸」のライオン丸の兄をやっても、見事に斬られる。
「おじさんが有名な人」というのは思春期を迎えると余計に恥ずかしくて、人に言わなかった。
テレビをつければ叔父がロードオブザリングの吹き替えをやっており、いつでも活躍を知ることが出来た。
そこで舞台の演出を志してた友人にそれを伝えたら、ものすごく驚かれたし「観に行くべき」と叱咤された。
勇気を振り絞って叔父が出てる蜷川幸雄演出の「あわれ彼女は娼婦」(2006)を観に行った。
まあ親族あるあるなんだけど、色々モメた後だったから、この頃には疎遠になってしまっていた。
(三上博はいまでもだいすき)
当時渋谷にこのポスターがたくさん貼られていて衝撃だったから、まさかこれに叔父が出てるとは思ってもみなかった。
このお話は英国の兄妹の近親相姦の話(原作も最高に良い)で、叔父はドナードの役だった。
この時に少し会うことが出来たんだけど、「ああ、大きくなって」とテレビで聞く声で迎えてくれた。
文化学院に進学したことを一族で1番喜んでくれた。
そして、舞台の本を2つほど書いたことを本当に喜んでくれた。
シェイクスピアの作品をたくさん演じた叔父だったけど、やはりこういう悲劇が似合う。
もちろん、わたしと叔父以外の親戚がモメてたので、この日のことは親には言えなかった。
叔父が亡くなったのを知ったのは、当時勤めていた会社に届いた新聞の記事だった。
凄く驚いたし、もっともっとたくさんの作品に携わって欲しかった。
お墓にはすでにお花が供えてあったから、多分親戚が来てたんだと思う。
会いたかったなあ。
幼い頃たくさん遊んでくれた、美しい従妹の兄弟はどうなってるんだろう。
その親戚兄弟がラグビーをやってたから、わたしは今でもラグビーがだいすき。
宇宙関係の企業に就職していった兄の方が、神戸のうちに来てくれた時、幼いわたしに英語で太陽系の惑星を教えてくれた。
パパの車で出かける時には、いつもわたしのことを膝にのせてくれた兄弟。(当時はチャイルドシートを設置するための法律が出来る前だったから)
疎遠になって久しくなるけど、お元気ですか。って感じ。
お墓っていうのは、そこにかつての人が眠ってると思うと拠り所になるよね。
ビンラディンを艦艇の上から水葬したのは、お墓を作ってしまうとそこが聖地になるかもしれないっていう懸念があったのを聞いたときは「なるほど」と思った。
突然実家から送られてきた、叔父が「雲」時代の「ロミオとジュリエット」のパンフレットをお供え。
もちろん主役のロミオを演じた叔父は、いつ見てもいつの時代もハンサム。
わたしの本業であるコイン業界に、学生時代に演劇をやってたという方がいて、叔父のことを知っていてくださった。
10年ほどの間に何度もお仕事で顔を合わせることがあったんだけど、そういう話ってしないよね。
まさかコインショーの会場で叔父の話をするなんて、って感じ。
教養って大事。
下北沢一番街のお花屋さん「mellow flower」さんに叔父のことを伝えて、素敵なお花をこしらえてもらった。
「うちは菊はねーぞ」というメロ山だけど、菊の花を選ばないで良いのならその方がいいなって。
そして叔父が亡くなった時期は、毎年ディズニーランドのホーンテッドマンションがナイトメアとコラボしてて、そのナレーションが叔父の声なのでいつも思い出す。
(YouTubeで「ホリデーナイトメア ライドスルー」って検索すると出てくるから、聞いてみてね。)
幼いわたしに教養を与えてくれて、ありがとう。いつまでもわすれない。