2月末に予定されていた、訳者を呼んで開催される予定だった「カラマーゾフの兄弟」の読書会が“延期”になった。
理由はもちろん、コロナウィルス。(許すまじ…)
これまでの1ヶ月、講演会に何度も出向いて真剣に聞いて、まじめにメモを取ったのに。
学生時代以来グッと上がっていた久々の「カラマーゾフの兄弟熱」だったのに、急降下した。
モチベーションだだ下がり。この2日前までのイベントは開催されてたのに。
教え子らしく、何を聞かれてもきちんと答えられるように準備したのに!
(Twitterでゴネたら、読書会の運営さんから慰められた)
コロナウィルスで騒いでた連休最後は、新しくなった渋谷PARCOで「本屋さん、あつまる。 - ほぼ日刊イトイ新聞」っていう書店が集まったイベントに行ってきた。
光文社古典新訳文庫さんもブースを出してたし、駒井さんのトークイベントがあるということで。
(あと、家から近い)
このイベントの翌週、政府から大規模イベントは中止をするように要請が出された。
ちな、ニューオーダーもレントも楽しみにしてた会食も中止。
コロナウィルス許すまじ!!
河野通和(ほぼ日の学校長)✕駒井稔(「光文社古典新訳文庫」創刊編集長)の「酔いどれ船に、乗る、乗らない。」というトークショー。
駒井さんが断酒したというのが一番な驚きだった。
印象に残ったのは、アルコールと切っては切れないのが「アメリカ文学」で、これは禁酒法が関係しているのではないかということ。
文学とアルコールの問題はとても深いということをお話ししてた。
「たしかに」と思うことはたくさんあって、お酒が少し入るだけで大概の文学者は舌がなめらかになる気がする。
教授の翻訳がたくさん並んでるのを見ると「こんなにも出してたのか」と思った。
10年の月日の流れを感じた。
わたしの本棚からゴッソリ抜けてる「白痴」が並んでなくて、「そんなもんだよねー」ってなった。
「白痴」が出た2015年は、一番文学から離れて遠ざかってた時期だもんなあ。
ドストエフスキーの講演会に行くと必ず名前が出る「オイディプス王」をゲトった。
モチーフとしてはなんとなく知ってたんだけど、一度もしっかり読んだことがなかった。
島田雅彦がテレビで「行き帰りの通勤電車の中で読み切れる」って言ってたから、躍起になって読んだら、1日で読み切れた。
YouTubeでStravinskyのオペラ版を聞きながら、ページをめくった。
ドストエフスキーやロシア文学やロシア文化論を嗜む人は、必ず読んでおいたほうが良いと思う。
全てはこれに繋がってるし、学者たちが「オイディプスコンプレックス」って言ったときの理解度が違う。
(あと、ボスから貰った「ネギみそせんべい」)
「ハムレット」にはそれぞれQ1・Q2・F1と呼ばれてる3種類の原稿があって。
Q1は短縮版を役者の記憶に基づいて再現した海賊版とされててQ2の原型ではないかってこと。
Q2は草稿版で、真正で完全な原稿。海賊版に対抗して出版されたもので、現在ではQ1の改訂版という説も。
F1は演出台本版。劇団が保管してる演出用の台本で、Q2を参考にして制作されたもの。
これが今まで一番メジャーだったっぽいので、Q1を使って翻訳した光文社古典新訳文庫は今までにないバージョンみたいでやんす。
Amazonのマーケットプレイスって便利ねー。すぐおうちのポストに届くんだから。
「ドストエフスキーと59の旅」を改題した「偏愛記」を見つけたので、すぐにポチった。
文庫サイズだったけど、満足。(ほんとは単行本サイズの本がすき)
「~59の旅」も買うかなあ。
教授の顔が似ててびっくりした。iPhoneだと顔認識しちゃうくらい。
ルーペで見ながら「あ~!こんな顔する!めっちゃするよね!」ってなった。
(あれ?みんなルーペで見るよね?推しのことだから普通見るよね?)
今まで知らなかったこととか、なんとなく聞いたことがあることを改めて認識させられる本だった。
著者本人のことに興味が無かったら、まったく面白くない本。
でも、知っておかないといけないこともたくさんあったので、読んでよかった。
その人と話す時にバックボーンとかパーソナリティを知ってると、印象は違うし、言葉の意味の理解度も違ってくる。
コロナウィルスのせいでイベントも軒並み中止やら延期。お仕事で行く予定だった香港も延期。
おかげでお仕事もゆるやかだし、本を読むのを再開するのにはとてもいいタイミングってことで。
そんな自戒を繰り返す日々。